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寝太郎さんをバッシングする典型的日本人達

 先日の記事に対し、寝太郎さんがご自身のブログで回答をしてくれたのですが、それを見た2ちゃんねらーたちがここぞとばかりにバッシングを行う結果となってしまいました。

 簡単にまとめると、彼はタイの寺にはタダ飯タダ宿を得るために滞在したことを実質的に認め、その彼の行為を2ちゃんねらーたちは「乞食だ」「日本人の恥だ」とこき下ろしてるわけです。
 さらにブログのコメント欄にも批判が殺到し、ブロックなどをはじめさらに荒れる始末。

 なんだか申し訳なく思うけど、寝太郎さんと2ちゃんねらーの多くを占めるだろう「典型的日本人」、そして、現地のタイ人達の価値観のあまりにもおおきな違いには、驚かされました。

 ブログには初めて書くことだと思いますが、実は自分にはタイで出家し僧侶のままに死を迎えた日本人の知人がいました。彼を頼ってタイの寺に泊めてもらったこともあります。いろいろとお話もし、勉強もさせてもらいました。そして、ただ参拝や見学するだけはわからない寺の内情のようなものも知ることが出来ました。
 それだけではありませんが、他にも本を読んだり現地の人と話したりいろいろと勉強してきた内容を書かせてもらいます。

 タイやミャンマーで主流の南方仏教の僧侶は比丘(びく)と呼ばれていますが、その元々の意味は「食を乞う者」という意味です。そのものズバリ、乞食という意味なんです。
 彼らは修行として托鉢をします。毎朝歩いて家々の軒先に立ち、食事をもらいます。ところが彼らは「ありがとう」とか絶対に言ってはいけないとされています。当然のようにもらって、無言で立ち去るだけなんです。日本人が現地で出家するとついつい頭を下げたりお礼を言いたくなりますが、この習慣は止めるよう指導されます。
 これ、日本人の感覚では、おそらく理解不能でしょう。

 理由は、お礼をしてしまうと、与えた側の徳が減ってしまうからなんです。

 なぜお布施をするかというと、する側は徳を積みたいから、するんです。徳とはなにか? 死後の世界の輪廻転生先をよくするためのものです。天国に生まれ変わりたいし、悪くても人間界がいいし、最悪でも地獄には絶対に落ちたくない。多くの徳を積めば詰むほど上の世界に転生する可能性が高まります。
 ところがお礼をされてしまうと、その分の徳が減ってしまう。良い来世に行ける可能性が減ってしまう。これは布施をする側からすると、損失でしかありません。

 布施の効果は出家した僧侶に行うのがもっとも効果があるとされていて、続いて寺の伽藍や設備、仏教修行を行う僧侶以外の者(女性、一般人の男女)、ただの貧しい人(ホームレス)……などという順序になります。そう、布施の効果って、相手によって変わるんですよ(笑)。これを知った時は、僧侶が一番上というのはなんというか都合いいなぁと感じてしまいました。

 彼らはお人好しだから布施をしてるわけではなく、ちゃんと死後の世界のための徳という対価を得るために行っています。ちゃんと打算の上で行ってる。そういう構造が出来上がっているんですよ。
 したがって、寝太郎さんがいくらタダ飯タダ宿目的で寺に泊まったとしても、そのことを「布施する側」が文句をいうことはありません。大事なのは布施をして徳を積むことであり、その布施した内容(ご飯、宿泊施設)を彼がどう使うかは、関係ないからです。

このように書かれていますが、「タダ飯タダ宿のために寺に入った」というのはだいたい合ってます。前に日本でゴエンカ式の瞑想合宿に参加したときは本当に真剣な気持ちで参加したのですが、今回は最初からかなり不純でした。

具体的に言うと、「朝5時起き」以外のスケジュールは全て守ります。瞑想にも必ず参加します。けれど、常にヴィパッサナー瞑想を実践するわけではなく、ただ静かに座っていたり、多くの時間、考え事をしていたりします。記憶を彷徨っているときもあります。

考え事をしたり記憶を掘り返したりするのはヴィパッサナーではありません。ついそういうことをしてしまうのは仕方が無いとされているのですが、僕は確信犯的にやっていました。


 正しく言うと、せっかく瞑想修行に邁進できる環境なのに確信犯的にこういう「修行以外のこと」をして損をするのは寝太郎さん本人の問題であって、「もったいない」「かわいそうだ」と思うことはあっても、「ふざけるな」と思うことはないということです。徳は布施をすることでしっかり積まれてるので、する側からしたら彼のことなど、どうでもいいんです。ただの布施を受ける対象でしか無いのです。
 これが典型的日本人には理解できない。これは、死後の世界の存在を確信しないとありえない価値観だからです。そんなものないよと思うならば、リターンを目に見える形で生きてる間に示されなければ損だと感じてしまう。「ありがとう」という言葉でも現金でもいいけど、対価がないと意味が無いと考えてしまう。
 現代の典型的日本人は死後の世界のために徳を積むという行為を基本的に信じてないので、ただで飯を食われたら「あげるだけ損」と考えてしまうから、叩きたくなるのではないでしょうか。

 これこそが現地の人の価値観と日本人の価値観の違いなんです。向こうではふくちゃんも通ったシーク教寺院のタダ飯で知られるように、貧しい人や庶民に無料で飯やものを配るというのはごくごくありきたりの文化なんです。それを利用する人もごくごく普通にいるし、それに金を払わないということをそこまで問題視もされません。

 これは2ちゃんねるでよく自分を叩く人が使う言い方なんですが、「無職には世界中に居場所がない。海外に行ったところで気が休まるなんて、嘘だ」というものがあります。だけどこれは明確な事実。それも、上にあげた内容に関係があります。
 寺に宿泊しても、騒ぐというような他人に対する明白な迷惑行為でもしない限り、なにをするかというのは原則的に個人の自由に任されます。なぜなら、何をするか、もしくはしないかということの結果、因果は、本人が被るからです。ちゃんと修行しなかった結果来世が地獄行きになろうが、他人にはどうでもいいんですよ。
 そういう意味で向こうの社会は徹底した個人主義です。他人が何をしてるかについて、基本的に関心がない。隣近所の人が働いてようが、無職だろうが、ニートだろうが気にしないという価値観が徹底しています。それは街中でもそうだし、寺の中においてすら、そうです。

 私が宿泊した寺には、朝の読経と托鉢以外は、ただひたすら昼寝したりくっちゃべったり、タバコ吸ったりしてる生臭坊主がいました。そういうのも全然問題ないんだそうです。
 ただし、戒律という最低限のルール破りには厳格です。タイには宗教庁があって、戒律破りをした僧侶を厳しく罰します。特に淫行関係には厳しく、現地のマスコミでたびたび取り上げられますね。
 これは寺に滞在してる一般人、つまり、寝太郎さんも同様と考えられます。最低限のルールを守れば叩きだされないし、飯をもらえる。食を乞う者である比丘や修行者に対し伏せをする行為自体が尊いし評価もされるし意味もある。それがどう使われるかはどうでもいいのです。
 このあたり、日本や西欧の寄付文化は明らかに違います。寄付金の収支報告や使途に細かく文句をつけるのが当たり前ですからね。

あとはこの問題です。具体的な場所も明かしてしまってますしあまりはっきりとは書きにくいのですが、概して言うと雰囲気はルーズでした。ゴエンカ式のストリクトな雰囲気とはかなり違います。お寺の側もそれを承知で運営している節があります。多少の情報収集から察するに、タイで常時不特定多数の外国人を受け入れているようなお寺は規律も緩いことが多いですし、その中でもWat Tam Wuaはかなり緩いほうだと思います。

Wat Tam Wuaのことを教えてくれたオーストラリア人の知人は、かなり真剣に瞑想を実践したいらしくて、Tam Wuaでは物足りなくなってネパールに飛びました。日本人ならば、真剣にやりたい人はまずはゴエンカなりなんなり日本語のコースに参加すべきです。

全てのスケジュールに参加することが求められていますが、実際にはフル参加しない人もいます。その辺は、生真面目な日本人よりヨーロピアンのほうがルーズです。

マナーについても、基本的にヨーロピアンのほうが悪いです。よく喋りますし、瞑想中も勝手にコースを変えたりホールから出て行ったりします。僧侶に対する礼儀作法もあまり学ぼうとしません。比べて、僕は模範囚でした。

日本人とヨーロピアンでは「真面目」や「誠実」の定義が違うように思います。日本人は決められたことをきちっとやるのが「真面目」だと思っていますが、ヨーロピアンは自分の気持ちに正直に、やりたくないことはやらないのが「真面目」。むしろ、やりたくもないのに形だけ参加しているのは「不真面目」「不誠実」ということになるかと思います。

他の人に迷惑をかけるような行動(たとえばホールで先生が話しているときに喋るなど)は注意されますが、個人がどれくらい「真面目」に修行に取り組んでいるかということについては基本的に他の瞑想者も僧侶の先生も無関心です。


 これを読んでも「そうだろうな」とだけ、感じました。ここに出てくるゴエンカ式が厳しくなったのは、おそらくその修行法を世界中に広めるためのメソッドとして確立させる過程で、南方の「ゆるゆる」ではなく、ある程度西欧の考え方も取り入れたものになったためではないかと思います。
 そもそもゴエンカ式は10日間の短期日程がその修行法の核であり、10日間で結果を出せるというのが売りです。ですがゴエンカ式も、布施の構造自体は完全に南方仏教の形式に従っています。布施や寄付を一切強要せず、無料での参加を貫いています。
 2ちゃんねるにも書きましたが、私はネパールとインドでゴエンカ式の修行に参加したことがあります。そこで寄付についての話を聞いたのですが、参加者の多くは貧乏人で、実際に寝太郎さんのようにタダ飯タダ宿を目当てに参加する現地人も多いが、それは問題無いという話を受けました。金持ちが大金を出すことで成り立っているそうです。
 このゴエンカ式の修行を受けられる場所が日本では京都と千葉にあって、実はここの運営に近い方に話を聞いたこともあります。これらのセンターは独立採算制で、海外は金持ちによって支えられているが、日本は正直言ってとても厳しい運営状態であるとのこと。というのも日本の場合、金持ちが徳を積むことを目当てに大金を支払いという文化が根づいておらず、受けたサービスについて平等な対価を支払うという感覚が染み付いている。したがって、10泊だとだいたい5万円~10万円ぐらい払う人が多いが、それ以上払う人はほとんどいない。それどころか「無料が原則、好きに寄付してほしい」と言われると素直にそう受け取って無料で宿泊してしまうとか、気持ちで1000円ぐらい払う人が多いぐらいだ、ということでした。

 同様の瞑想会のようなものを主宰してる知人がいるのですが、最初は完全寄付制にしていたのだけど、毎回のように「本当に無料でいいのか?」とか「金額を決めてもらえないと申し訳なくて困る」という人がいて面倒なので、ついに参加費を決めてしまった人がいます。もちろん彼はゴエンカ式の話を知ってるので、「日本人にはお布施という考えは本当に向いてないのだろうなぁ」と嘆息してました。

 以前、ものの豊かな社会はどうなっていくかという記事を書きましたが、これも同様の話です。
 これではタイでOLをしてる人がタイ人の怠けっぷりや他人への過度な依存姿勢を非難することを批判したのですが、記事に出てきた貧乏タイ人が金持ちに依存するのは徳を積ませる行為になるから相手にとっても損ではないという価値観で依存してるのは、間違いのないことなのです。そこに罪悪感を感じないのは、それが明確に相手にとっても徳を積むという確信があればこそだし、それは死後の世界、輪廻転生を当然のものとしているからこそでもあります。

 これだけ書いても、寝太郎さんがそのシステムを利用し寄生するのは許せないと言う人は多いままだと思います。それはもう、どうしようもないことなのでしょう。価値観が根本的に違いますから。だけど向こうの人は典型的日本人が思うほどに、寝太郎さんのことを悪く言わないということに、自分は確信を持っています。

 ここまで解説してきた南方仏教(上座部仏教)に対し、中国や日本で信仰されている仏教を北方仏教(大乗仏教)と言います。その中でも禅宗に、こんな言葉があります。

「一日なさざれば一日食わず」

 畑仕事を病気で休んだ僧侶にご飯を持ってきた人に対しこう言って断ったという話ですが、ここに、南方と北方の最大の違いを感じます。
 そもそも南方仏教では、畑仕事は禁止です。自炊も禁止。運転もしちゃダメ。すべて「やってもらう」のが当たり前です。もちろんそれに謝意を示すなんてこと、やりません。毎日寝てようがなんだろうが托鉢に行けばご飯はもらえますからね。

 タイやミャンマーでは不景気になると出家したり寺で修行する一般人が増加し、景気が良くなると減るそうです。これも、ご飯目当てなのは明らかですね。まじめに働くべきだ、頑張るべきだという人ももちろんいるけど、だからといって寺や他者に依存する人をむやみに叩くことはありません、なぜなら、その行為は、その人の来世を決めるからです。自業自得なのだから、本人がそうしたいというなら止めはしないし、そういう人でも養ってあげれば自分の得・徳になるから、問題ないんです。

 ともかく、価値観が違いすぎるんですよ。

 他にも、中東のイスラム国がなんであそこまで簡単にジハードで命を落としたりぶっ殺したり出来るのか、日本人には理解できないでしょう。それは、実際に中東行って、泣きながらメッカの方向に向かってお祈りしてる人を生で見たりするだけでも、なんとなく感覚的に理解できたりするものです、
 ともかく海外には日本とは異なる価値観がたくさんあり、それは実際に現地に行ったり話を聞いたりするだけでも、日本にいるよりはるかに多くのことを学び知ることが出来ます。寝太郎さんも若い頃に海外に慣れ親しんだそうですし、自分もそう。その結果、影響のされ方が典型的日本人からしたら理解できない寝太郎さんや自分のようになる人もいて、それが理解されないということなんだろうと思います。

 寝太郎さん、一度お会いしてみたいですね。いろいろお話が出来そうです。

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コメント

Re: タイトルなし

黄泉の門番 さん

> 現代の日本社会は宗教や道徳が廃れている上に、社会は高度な程にまで自由なのが事実だ。
>
> しかし自由な社会だからこそ、競争と格差が激しい。この社会は勝ち組や上流が幸せでいられるようにできており、逆に負け組や下流はどう足掻いても這い上がれないようになっている。

自由と平等は本来相反する価値観なので、これはとてもむずかしい問題なのだと思います。

> こんな時こそ無への道程を再び読み返したりしてしまう。

こういった問題を本当に突き詰めて考えると、普通ならおかしくなって死ぬことを選ぶものなのかもしれません。
そこで死なずに生きつづけると、なにか残せるかも、しれませんね。

現代の日本社会は宗教や道徳が廃れている上に、社会は高度な程にまで自由なのが事実だ。

しかし自由な社会だからこそ、競争と格差が激しい。この社会は勝ち組や上流が幸せでいられるようにできており、逆に負け組や下流はどう足掻いても這い上がれないようになっている。

仕事や貧富のみならず、恋愛や人生や教育の格差までも激しいのが事実だ。何もかもが高度な程に自由となっているのだから。

競争で負けた物やその道から外れた者は、この世に存在しなくても良いから死んで結構と沙汰される。

また、そうした人こそ絶望によって殺人犯罪に走るリスクが高いのも事実。


良い社会なのだかどうなのだか。

こんな時こそ無への道程を再び読み返したりしてしまう。

Re: すり替えは良くない

名無し さん

> 一つだけ言いたいのはタイは貧しさから身を売って稼いで、家族に仕送りしている女性が多いという事。一生懸命働いても貧しい暮らしを抜け出せずに、その僅かな稼ぎの中からお布施をするタイ人と、働くのが嫌で自ら貧しい暮らしをして、乞食同然に生きる日本人とでは全く状況も意識も違う。生き方は自由だ。ただし日本人として他国や他国の人達の善意に寄生して生きる事を惨めで恥ずかしいと思うのは当然の感覚だ。タイ人がどう思うかよりも、善意に寄生して生きる本人の根性の問題だろう。

つまり、北国と南国の人の価値観の違いというだけの話ですよね。
以前アフリカを旅行した人にこんな感想を聞いたことがあります。

「部族が最高の価値基準であるアフリカ人や中東人に日本人はじめ先進国の価値観を理解させるのは絶対に不可能だ。もし先進国の価値観、人権意識や勤労意識を教え込みたいなら、子供の時点で引き剥がして教育する以外にない」

それを聞いた時はなんだそれと思ったけど、ある程度は事実なのだろうと思います。あなたはじめいわゆる日本人に、南国の価値観を理解してもらうのは極めて困難なことなのでしょう。
と言っても、続けていくしか無いんですけどね。

すり替えは良くない

一つだけ言いたいのはタイは貧しさから身を売って稼いで、家族に仕送りしている女性が多いという事。一生懸命働いても貧しい暮らしを抜け出せずに、その僅かな稼ぎの中からお布施をするタイ人と、働くのが嫌で自ら貧しい暮らしをして、乞食同然に生きる日本人とでは全く状況も意識も違う。生き方は自由だ。ただし日本人として他国や他国の人達の善意に寄生して生きる事を惨めで恥ずかしいと思うのは当然の感覚だ。タイ人がどう思うかよりも、善意に寄生して生きる本人の根性の問題だろう。

Re: 価値観の違いに対する対応方法

ningen さん

> 偶然にも、今パーイで寝太郎さんのブログでも紹介された100バーツの安宿で沈没中の者です。

パイはいいところですよね。また行ってみたいです。

>  貧bpさんの考えでは、寝太郎さんの行為は価値観の違いで、タイの僧侶からは批判されないだろうと言う点では、私も同意見ですが、もし寝太郎さんがタイ人だったら多分十分なお布施をしたと思います。タイ(上座部仏教)の価値観のなかでは、特別な事情のない限り僧侶にお布施をするのが普通だと思います。

それは記事にも書きましたが、タイの人にとって輪廻転生は信じるどころか当たり前の、疑うなんてありえない常識ですから、十分なお布施をしないまま死を迎えることのほうが恐怖なんですよ。そうしないと死後の世界がとんでもないことになるので。

> 一方寝太郎さんの方には、いくつかの可能性があります。1.タイの価値観について知らなかったので、日本の価値観である、義務のない支払いはしなかった。2.タイの価値観は知っていたが無視し、日本の価値観で行った。3.タイの価値観は理解していたが、持ち合わせがなかった。(日本から飛行機で旅行している人にこれはないかと思いますが、可能性として)

これはご本人がどう答えるか聞いてみないと分からないですね。インドやネパールの施設などの例を見ても、123どれもが複雑に入り組んでいるように思えます。
問題は3なのだと思います。海外で乞食にお金を求められ、断ると「日本人は金持ちなのになんでだ」と言われたりする。旅人側は「そうは言っても日本では毎月20万円近い生活費が普通にかかる」と反論する。どちらにも理があるので、これまた難しいところです。たしかに日本人にとっては500円というのははした金かもしれませんが、現地ではそれで一日生活できるんですよね。
この場合むしろ考えないといけないのは、「計画的にお金を使う」日本人と「宵越しの金は持たない」南国人の価値観の衝突なのだと思います。日本人(正しくは北国人)は「持ち合わせがあっても将来を心配し使わない」のだと思います。

> ご指摘の通り、価値観には違いがあり、旅行者はどの価値観で行動すべきか、これは個人の考えにまかせるしかないのではと思いますので、私は批判などするつもりはありませんが、タイのシステムでは僧侶は、金持ちからそうでない人まで、多くのお布施をもらい、それを原資に施しを必要な人にあたえるものだと思いますが、もし日本人旅行者が施しを受けることだけやっていたら、僧侶は文句は言わなくても、タイのシステムに影響を与えてしまうのではないでしょうか?

システムに影響をあたえるほどの大人数・大金が動く事態になるとは、ちょっと想像がつかないですね。無宗教者に対する瞑想指導や衣食住の提供は、宗教団体の側からしたら投資とも言えます。そのうち何人かが改宗しやる気になって将来逆にお布施をしてくれるようになったら、投資に成功したといえる。
こういう打算的分析をすること自体日本人的で嫌な気もします。向こうの人はそんなこと考えず優しさからやってくれてる気もします。でもそれはそれで、システム論として考える場合、この考え方は持たざるをえないでしょうね。

Re: タイトルなし

名無し さん

> もっと短くまとめると読みやすいのに、ざんねんだなー

編集さん募集中。

価値観の違いに対する対応方法

偶然にも、今パーイで寝太郎さんのブログでも紹介された100バーツの安宿で沈没中の者です。
 貧bpさんの考えでは、寝太郎さんの行為は価値観の違いで、タイの僧侶からは批判されないだろうと言う点では、私も同意見ですが、もし寝太郎さんがタイ人だったら多分十分なお布施をしたと思います。タイ(上座部仏教)の価値観のなかでは、特別な事情のない限り僧侶にお布施をするのが普通だと思います。一方寝太郎さんの方には、いくつかの可能性があります。1.タイの価値観について知らなかったので、日本の価値観である、義務のない支払いはしなかった。2.タイの価値観は知っていたが無視し、日本の価値観で行った。3.タイの価値観は理解していたが、持ち合わせがなかった。(日本から飛行機で旅行している人にこれはないかと思いますが、可能性として) ご指摘の通り、価値観には違いがあり、旅行者はどの価値観で行動すべきか、これは個人の考えにまかせるしかないのではと思いますので、私は批判などするつもりはありませんが、タイのシステムでは僧侶は、金持ちからそうでない人まで、多くのお布施をもらい、それを原資に施しを必要な人にあたえるものだと思いますが、もし日本人旅行者が施しを受けることだけやっていたら、僧侶は文句は言わなくても、タイのシステムに影響を与えてしまうのではないでしょうか?

もっと短くまとめると読みやすいのに、ざんねんだなー

Re: タイトルなし

ああああ さん

> 面白い記事でした。

ありがとうございます。

> 貧BPさんはよく気候が文化に与える影響について言及してますが、これだけ豊かになった現代でも北方人の労働文化はなかなか変わらないんですね。
> 日本は景気良くなりそうにないですが、もし今後も経済が豊かになるとしたら、将来日本人の労働への価値観は変わっていくんでしょうかね。
> それとも、過去の慣性に引っ張られて来世紀くらいまで変わらないのか…疑問に思ってしまいました。

変わっていくのが当然だと思いますよ。ですが、文化的な変化はそう簡単では無いかもしれませんね。皮膚の色が進化の結果で変わるのと同様の年月がかかるかもしれないわけですし……。
人類誕生以来の文化発展の有り様をグラフにすると、ここ2000年どころか200年ほどの傾斜は、それまでとくらべてあまりにも急すぎて、人類の肉体も精神も追い付いていないと言われてます。
言われてますが、だから昔のままなんて出来るわけがない。エアコンを覚えた人類は今更エアコン無しには戻れないわけですしね。
もし今までのままの労働観を継続するなら、日本はどんどん不幸になっていくだけだと思います。

Re: タイトルなし

通りすがり さん

> 災害が多い日本の地の利が上記の文化思想を作ったんでしょうね

もちろん災害もあるけど、冬に外で寝ていると死ぬ北国であるというのがもっとも大きい違いだと思います。
冬に備えて計画的に生産し備蓄しないと成り立たない社会と、一年中食料が手に入る社会では、価値観も大きく異なってしまうのでしょうね。

Re: タイトルなし

寝太郎 さん

> 要点的にスッキリ読みやすくかいてほしい。

すいません……それができれば私自身、もっとまともな生活ができてるでしょうね。

Re: タイトルなし

Tetsu さん

> おっしゃる通り、あちらでは、みんな徳を積みたいので、お恵みの対象になる人を迷惑に思ったりすることは少ないのではと思います。
> でもそれは、お恵みの対象者も輪廻転生を信じていて、彼らも出来る範囲で徳を積んでいる、という前提があってのことではないですかね。
> 「人間なんて死ねばそれまで。来世なんてあるわけ無い。でも、失業したから、お寺に来たよ」なんて公言したら、流石に「それも自業自得。あの世で地獄に落とされ、生まれ変われてもゴキブリだ。気に毒に」と憐れまれるのではなく、「仏様の教えを理解しない愚か者。寺から出ていけ」となるのではと思いますが、どうでしょう?

記事にも書きましたが、受け手がどういう人間かはあまり関係ないんですよ、伏せをするという行為自体に意味があるので。
ただし、布施の効果を最大化するのは、布施対象者が僧侶、比丘である場合です。さらに言えば、修行の高いレベルにある高僧ほど、効果が増します。そういう意味では仏教を信じないただの乞食への布施は効果としては薄くなるので積極的に行われないということはたしかにあります。
ただその場合は、高僧の周りに乞食が群がるだけなんですよねぇ。
それに本当に仏教を信心してる人は、そういう愚か者であっても感化され熱心な仏教徒になることを期待してます。もし改宗させられたら、それってとんでもなく大きな功徳になりますよね?
こうやって正当化することはいくらでも可能なんです。

> ちなみに貧bpさんは輪廻転生を信じてます?
> 私は信じていません。

これは一言で言える話ではないですね……。日本人が現地の人と同様に心の底から信じるのは無理でしょう、信じるというか、彼らにとっては「太陽は東から上って西に沈む」と同じような「現実」であって、信じる信じないの問題ではないんです。この点を取ってみても、あまりにも価値観が違いすぎますよね。

そのうえで個人的には、輪廻転生はあると思いますよ。ただしそれは、彼らほどの確信ではありませんし、同レベルで確信を持つことは死ぬまで無理でしょう。

Re: タイトルなし

暇なおやじ さん

> 亡くなった経済、お金儲けの神様が言ってました。
> 坊さん(お寺、宗教団体)は、こじきの親分、ヤクザの親分は、政治家と。
> 理屈はどうあれ、一言で表現すると、なるほど~、と思いました。

理屈はどうあれ、この指摘自体は決して間違いとは言えないと思いますよ。

そもそも、南方仏教やインドにおいて布施をすると徳を積めるという応酬構造自体が、屁理屈と言えなくもない。こんなものを考えだし定着させた古代インド人の才能に驚くわけです。

Re: タイトルなし

にゅー さん

> とても興味深く読みました。
> 自分も若い時にもっといろいろ見て歩けばよかったと思ってしまいます。
> これからも記事を楽しみにしています。

ありがとうございます。今後も出来る範囲で、書いていこうと思います。
末永いご支援、よろしくお願い致します。

Re: タイトルなし

しん さん

> ところで貧BPさんって、叩くとほこりではなく、
> 色々なエピソードが出てきますね。
> その経験を生かさないのは、やっぱりもったいない気する。

活かそうにも本人に活かす才能がないというか、能力がないのが残念なところですよね。

Re: 寝太郎さんを

ウィル さん

> 叩く奴らに対してすごい気持ち悪さを感じる

彼らは、典型的な日本人そのものだと思います。

面白い記事でした。

貧BPさんはよく気候が文化に与える影響について言及してますが、これだけ豊かになった現代でも北方人の労働文化はなかなか変わらないんですね。
日本は景気良くなりそうにないですが、もし今後も経済が豊かになるとしたら、将来日本人の労働への価値観は変わっていくんでしょうかね。
それとも、過去の慣性に引っ張られて来世紀くらいまで変わらないのか…疑問に思ってしまいました。

まさに文化の違い、ですね

大概の国の宗教施設は貧しいものに炊き出しなどの施しをしたり、無宿ものの受け入れとかしてますが日本の寺とか教会とかはそういうのが一切ない、やってるのは韓国系カソリックだけ
なぜだろうと思ってたんですが日本の文化なんですよね

働かざるもの食うべからず、働かない者は死ね
「和」を乱すものは許さない、俺がこんなに苦しいんだからお前も同程度苦しまないとゆるさない、もしくは死ね

姥捨ての文化がすっと受け入れられていたり、今でこそないでしょうけど昔はカタワもの、障害者などは間引き、殺されていたのではないでしょうか
コメントを見るにつけそうだったのではと思います

災害が多い日本の地の利が上記の文化思想を作ったんでしょうね

要点的にスッキリ読みやすくかいてほしい。

おっしゃる通り、あちらでは、みんな徳を積みたいので、お恵みの対象になる人を迷惑に思ったりすることは少ないのではと思います。
でもそれは、お恵みの対象者も輪廻転生を信じていて、彼らも出来る範囲で徳を積んでいる、という前提があってのことではないですかね。
「人間なんて死ねばそれまで。来世なんてあるわけ無い。でも、失業したから、お寺に来たよ」なんて公言したら、流石に「それも自業自得。あの世で地獄に落とされ、生まれ変われてもゴキブリだ。気に毒に」と憐れまれるのではなく、「仏様の教えを理解しない愚か者。寺から出ていけ」となるのではと思いますが、どうでしょう?

ちなみに貧bpさんは輪廻転生を信じてます?
私は信じていません。

亡くなった経済、お金儲けの神様が言ってました。

坊さん(お寺、宗教団体)は、こじきの親分、ヤクザの親分は、政治家と。

理屈はどうあれ、一言で表現すると、なるほど~、と思いました。

とても興味深く読みました。
自分も若い時にもっといろいろ見て歩けばよかったと思ってしまいます。
これからも記事を楽しみにしています。

この話に限らず、何かをするAさんとされるBさんがいた時、
Aさんの行動はBさんに迷惑をかけてると叩く人いますよね。
Bさん自身がどう思ってるかは無視して。。。

ところで貧BPさんって、叩くとほこりではなく、
色々なエピソードが出てきますね。
その経験を生かさないのは、やっぱりもったいない気する。

寝太郎さんを

叩く奴らに対してすごい気持ち悪さを感じる

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アラフォーのバックパッカー。働くのが大嫌いという真性怠け者。嫌々働きながらなんとか1000万円貯めてアーリーリタイアをもくろんだものの、貯まる前に震災&原発が来てぷちっとネジが切れ、勢いで仕事辞める。今後はまったく五里霧中。

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